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インタビュー vol.27 2021年度を振り返って ~短期大学部編~

2021年度を振り返ってインタビュー ~短期大学部編~

学生生活の2年間を丸ごとコロナ禍で過ごした短期大学部の学生たち。それぞれの過ごしかたや思いを伺いました。(インタビュー日:2022年2月~3月)

※インタビュー中はマスクを着用し、写真撮影時のみ外しております

今までの小中高大学生活の中で、正直1番楽しかったんじゃないかな。実践食物学科 栄養士コース2年次 中川早智さん

―― 前回のインタビューから進行はありましたか?

中川さん 1月の中旬ぐらいから、週に一回、月曜日に福岡市とのオンラインでの研修があって、同じ科目の新卒のかただったり、他の科目の先生だったりと関わることができて「先生になるんだなぁ」と実感が湧いてきました。

―― 卒業研究で取り組んだことを教えてください。

中川さん 私の所属した山下先生のゼミでは、スポーツ栄養チームと商品開発チームとに分かれていて、私は商品開発チームでいちごのスイーツ開発に取り組みました。産学連携で毎年1年生の後期に、道の駅 奥河内くろまろの郷の施設長のかたが講演しに来てくださった時にお声がけいただいて、卒業研究に繋がった感じです。
依頼が、大阪産(おおさかもん)を用いたいちごのスイーツ開発だったので、河内長野産のいちごを使いました。
23種類ほどメニューを考えて、商品化されたのがいちごモンブランと、いちごのソフトドックっていう、コッペパンの中にいちごのソフトクリームを入れて、いちごダイスをかけたものと、いちごのお汁粉です。

―― 難しかったことはありますか?

中川さん そもそも私は栄養士コースなので、お菓子作りの知識がほとんどない状態で。
製菓衛生師コースの先生にアドバイスをいただいたり、自分たちで調べたりしながら何回も試作していきました。時間もかかりました。
また支度を始めたのが夏だったので、いちごがまだ出回っていなくて、冷凍のいちごでどうにか溶かしたりして試しましたが、身がめちゃくちゃになってしまい、結構苦労はしましたね。
製菓実習が2年の後期にあって4人中3人が受けてたので、そこで学んだ作り方でカスタードを作ったり、スポンジを作ったりできたので、そこはちょっと活かせたかなと思います。

―― 実際に道の駅 奥河内くろまろの郷に訪問されたんですね。

中川さん パティシエのかたに教えていただきながら、モンブランを絞ってトッピングをしてみました。
私たちが作ったものは、パティシエのかたが作ったものよりはクオリティが落ちちゃうので、販売には回してもらえなくて、持って帰って自分たちで食べました。でもめちゃくちゃおいしかったです(笑)。

―― いい経験になりましたね。

中川さん ファッションの道に進みたいなと思って高校を決めた人間なので、もともと商品化に興味があって。
この商品ができあがるまでに、何回もアイデアを出して、試作して、プレゼンして、話し合って、っていう段階をいっぱい踏んで、ようやく1個の商品ができあがって、それが消費者の手に届くって、その流れを実際に自分も体験しながら知れたってのがすごく面白かったので、先生になってから生徒たちに授業で教えられたらいいなと思います。

―― 学生生活2年間、コロナ禍で過ごしてきましたが……

中川さん 学園祭がなくなったり、研修や実習も結構なくなりましたね。
卒業アルバムに載るような思い出は少ないかもしれないけど、調理実習だったり、授業だったりでクラスの子たちとはしっかり仲良くなれたので、そういう思い出がたくさんあってよかったなと思います。
楽しかったっていうのが一番です。だから寂しいです、卒業するのが。今までの小中高大学生活の中で、正直一番楽しかったんじゃないかなって。

―― 一番印象に残っている授業は?

中川さん 楽しかったのと大変だったのどっちもあったのが、大量調理実習で「鬼殺食堂」っていうテーマで、敬愛高校の高校生や実践食物の1年生に、大量調理の料理を振る舞ったことです。
テーマが「鬼滅の刃」で、先生にキャラクターのパネルが欲しい、と言われて絵を描ける人いませんか?って聞かれて、私、手挙げちゃって。
そんな得意じゃないんですよ。イラストがかろうじて描けるかなぁくらいだったんですけど、結局8体ぐらい下書きして、絵の具で塗って、ペンでなぞって、貼ってみたいなのをしていたら間に合わなくて、何日も朝8時に学校に来てやったり、3限終わりのまま18時まで残ってやったり。
すごく大変だったんですけど、それを持って最後みんなで写真撮ったり、見に来てくださった先生もすごいね!って言ってくださったり、高校生も鬼滅の刃を観てる子がいたみたいで、これすごい!って言ってくれて。それがすごく嬉しかったし、しんどかったけどいい思い出になったと思います。

―― 入学を考えている高校生にメッセージをお願いします。

中川さん 先生がたが、学生一人ひとりに対してすごく手厚くサポートしてくださって、大切にしてくださっているな、というのは常に感じていました。
設備的にも、大量調理の教室に温冷配膳車があって、担当の松井先生が何年も病院で栄養士をしていらっしゃった先生だったので、栄養士の学校としては、うちにしかないものがあるんだよって言われていました。だからほんとに病院の栄養士になりたい人には、すごくいい環境じゃないかな。
先生たちとの距離が近いけど、程良かったので、安心感がすごくありました。きっと他の学校よりもあるんじゃないかなと思います。
短期大学ってこの資格が取れますよとか、この勉強ができますよっていうのを見て入って来ている子が多いと思うので、同じ目標がある人たちとずっと一緒に勉強できるのはモチベーションにもなると思うし、2年間がもうほんとに2年経った?ってくらい早かったので、1日1日無駄にしないように、どの授業もどの休み時間も楽しんで過ごして欲しいなと思います。

1人でウェディングケーキを制作。満足できる素敵な作品に仕上がりました。実践食物学科 製菓衛生師コース2年次 小蔭雪菜さん

―― 卒業研究で取り組んだことを教えてください。

小蔭さん トマトのレシピ考案に取り組みました。
タキイ種苗株式会社の統計で8割以上の人がトマト好きって回答していて、そのトマトをいろんな人に製菓で食べてもらう、またトマトが嫌いな人にもお菓子を通して好きになってもらうっていうテーマで、研究を始めました。

―― 製作したお菓子はどのようなものですか?

小蔭さん 「チョコトマ」といって、チョコレートの中にトマトのジャム的なものが入っているお菓子です。

―― 苦労したことはありますか?

小蔭さん テンパリング(チョコレートに含まれるカカオバターを分解し、結晶を最も安定した状態にする温度調整作業のこと)から始めて、型に流して、その中にトマトのジャムを入れる、チョコレートで蓋をする、はがす、って言う段階で、テンパリングがうまくいってなかったので、テンパリングをイチからまた勉強し直して、練習して。
さらに中のジャムにとろみをつけるのか、ドロッとしたものにするのか、さらさらにするのかっていうのを追求して、ドロッとしたほうがチョコレートと合うんじゃないかって、時間をかけて試して、最終的にトロッとした中身のジャムを作ることに成功しました。
テンパリングは難しいですね。タイミングがわからなくて、先生にもついてもらって、何度も何度も温度調節しながら作りました。ジャムも、とろみをつけるのに火の入れ方や、どれくらい沸騰させるか煮込み時間を何度も変えたり、砂糖の量、水分の量を調節しました。最終形態まで三、四回は試作したと思います。

トマト感を強く出したもの、トマトが苦手な人でも食べやすいようにしたものを二つ作って、食べ比べしてもらいました。
トマト感を少なくしたものに対しては、気持ちトマトいるなぁくらいの、いちごジャムに近い感じでしたね。トマト感が強いほうは、青臭さが残ってしまいました。でもトマトが主張するから、これはトマトが入ってるってわかりやすいお菓子になったかなと思います。

―― 出来上がりの評判は?

小蔭さん 製菓衛生師コースの1年と2年に食べてもらいました。評判は結構よかったです。
食べやすいとか、おいしいとか、珍しいから好きっていう意見がありました。楽しかったです。

―― 印象に残っている授業はありますか?

小蔭さん 去年(2021年)の12月にディスプレイ作品を作ったことです。
各班に分かれて、ウエディングケーキを制作したり、マジパンを作ったり、ラッピングをしたりして、みんなでいろんな作品を作ったのが、一番の思い出です。

自分はウェディングケーキを作ったんですけど、周りは班でやってる中、私はあえて自分1人でやったので大変でしたが、すごく楽しかったです。
他の班はみんなで協力して自分たちの納得いく作品を作っていて、完成がすぐそこってところだったのに、自分はまだ何もできてない状態で……。最後までできるかなって不安も抱えながら、完成できて、今まで頑張ってきて良かったなって思える素敵な作品に仕上がりました。

―― ウェディングケーキにしたのは?

小蔭さん 漠然としてるんですけど、製菓=ウエディングケーキっていうイメージがあって、お花をテーマに作りました。

―― (写真を見て)とてもきれいですね!

小蔭さん 砂糖と卵白を合わせたもので、一枚一枚花びらを作りました。
1か月はかかりました。
満足です!もう一回やってって言われてもできないです(笑)。

―― 卒業後の進路は?

小蔭さん 陸上自衛隊です。製菓の先輩が陸上自衛隊に行っていて、自分も行ってみようかなって思ったのと、強い、かっこいい女性に憧れていたっていうのが一番大きな理由です。
その先輩が卒業してから自分が入学したので、関わることはなかったんですけど、めちゃくちゃ性格が変わる、すごい男前になったでっていうのを聞いて、自分も成長できるなら行ってみたいなって。自発的に行動して誰かのために頑張れる姿が、自分にとって憧れで、自分も誰かのために役に立てる人になりたいって考えたら、自衛隊って素敵だなと思いました。
自信をもって、何事にも挑戦できる人になりたいです。

―― 入学を考えている高校生にメッセージをお願いします。

小蔭さん まだ迷ってて、でも製菓に興味があって……っていう子がいれば、栄養や衛生についても勉強するので、製菓の道だけではなく違う選択肢も選べるし、短大に来てくれたらちょうどいい進路になると思います。

障がい者と向き合って、もっと知りたい、自分も一緒に成長しようって思える。実践保育学科2年次 田中まなみさん

―― 卒業研究のテーマは発達障がいと個性についてとのことですが、障がいについて考えたきっかけは?

田中さん 最初のきっかけは、幼稚園の時に点字に出会ったんですね。目が見えへん人がいるとか、そういう人がこういうのを使って生活しているっていうのを知って、ちょっと関心みたいなのを抱いて。
次に中学生の時。高校を選ぶ時に「自分がしたいことって何やろう、何か学びたいことって何やろう」って悩んでいた時に、道徳の時間で、この学校には昔は障がいを持った子がいたんだよ、という動画で見て「あ!そうや、自分障がいに興味があったんや。それやったら自分を生かせるかもしらへん」と思って、高校で福祉学科のある所を選びました。
障がいについて学ぼうと思ったのですが、その高校はどちらかというと介護系でした。その中で保育についても学んだので、保育に心惹かれてこの学校に進学しました。
実習を通して「やっぱり自分は障がい者と向き合ってる時が楽しい。一番学びたいと思える」と感じたので、就職先は障がいのほうに進みました。

―― 楽しい、学べると思えたのは?

田中さん 保育も学びましたが、やっぱりもっと知りたいと思うのは障がいを持ったかたで、障がい者自身も成長していく場面が見られるし、自分も一緒に成長しようって思える時間が多くて。
もともと人と笑顔で話すことが好きで、障がい者のかたと話していると「もっとこの人のことを知りたいなぁ」って。
自分がしたいこと、楽しんでできることを仕事にできる人ってあんまり多くないと思うんですけど、自分はそれが見つかったのでよかったかなって。

―― 田中さん自身は発達障がいと個性の違いをどう捉えていますか?

田中さん いろいろ文献も調べたのですけど、きれいに線引きってできなくて。
本人がどう捉えるかによって変わってきますし、勝手に他人が「それは障がいだよ」とか、「個性だよ」とか、割り切ってしまうのはまた違うよねっていうように結論付いて。
やっぱ病名上「障がい」ってつくんですけど、障がいって言われた人たちが「これは個性やから」って前向きに捉えてたら、それはもう個性として扱っていけばいいものですし。でもその個性で生活しづらい部分が出てきたり、困ってることがあるのであれば、そこで周りが援助なり支援なりしていくことが大事なのであって、ひとくくりに違うものとか同じものっていうのは結論付けられないんじゃないかな。

―― よりよい社会になるために考えていることはありますか?

田中さん 健常っていわれる人が生活しやすくなってるのが世の中だと思うので、その中でちょっと生活がしづらいとかそういうものを持ったかたを、こっちが勝手に「障がい」って呼んでるのかなっていうのがあって。
学ぶまでは、自分も「障がいは障がいや」って思っていたのですけど、何か違うんだなぁと思うようになってきて。「障がい」っていうのは健常の人が自分と違う、というのを言葉にしただけであって、見方を変えれば、自分たちはその人たちとは違う、自分たちはその人たちからしたら障がいじゃないの?って思えるし、だから今、生活しやすい人たちが区別をつけてしまったのかな、と感じましたね。
バリアフリー化も進んでますし、みんながちょっとでも障がいっていうものに興味を持って、違いはあるけれど同じところもあるんだよっていうのを知っていって、そういう人たちに対して自分ができることとか、こうしていったらいいんじゃないかっていうのは、やっぱりみんなの心のどっかでもいいんで、そういうの気持ちを持っていくことが、なんか重要なのかなって感じています。

実際に全盲のかたとお話をしたことがあるんですけど、全盲だからって自分で1人で生きていかれへんのかってなったら全然違うし、障がいを持ってる人が全部が全部助けて欲しいわけじゃないし、だから困ってることだってみんなあるんじゃないっていうのを伝えていきたくて。
この世の中のみんなが理解して、差別をなくしていきたいのはありますね。

―― 将来の目標についてお聞かせください。

田中さん 自分はまだまだ障がいについて詳しく学べていないところが多いので、働きながら資格勉強もできるし、より一層学びや知識は絶対必要だと思っています。
就職先の主任のかたと関わることがあったのですけど、何年も勤務されているのに、ずっと昔から変わらない態度を続けていて、利用者さんもその人を信頼されているように感じました。
自分もこの仕事を長く続けたいと思っているので、長く続けていく中でおろそかになったり、適当になったりしてしまう人もいると思うのですけど、人と関わる上でそういう事は絶対ダメだと思うんで、自分で意識して丁寧に。初心忘るべからずみたいな。
知識をつけて、キープするところはキープして、上げていくところは上げて、メリハリを持った仕事をしたいなと思っています。

―― 入学を考えている高校生にアドバイスをお願いします。

田中さん 東大阪大学短期大学部に入学しようと思ったきっかけは、こども研究センターがあって、地域の人が学内で保育を受けている、地域から信頼できる学校やと思ってもらえているのがすごく魅力的だったからです。

先生との距離も本当に近くて、何かあったらすぐ質問ができたりとか、先生も気にかけてくれて。学生の顔と名前が一致してるってとても大事だと思うので、いいなと思っています。

就職については、2年間で就職先を探すっていうのは大変なことだってわかってたけど、想像以上に苦労する子がいて。やっぱり簡単なことじゃないから、もしこれから入ってくる子とかは、1年生の頃からアルバイトしたり、そういうコネクションは持っておくべきだなっていうのは、すごく伝えたいです。
自分もアルバイトを通して就職できたし、実習が終わった後もその実習先にボランティアとして通い続けてアルバイトとかさせてもらってる学生もいたので、一つ一つの関わりは大事にして欲しいし、1年生の頃から自分は動いてたなって思えるように、楽しく経験を積んでもらえたらいいなと思います。

老人ホームは利用者さんにとって家であり、介護士はそこにお邪魔するもの。介護福祉学科2年次 出口奨真さん

―― 介護福祉の道を目指したきっかけを教えてください。

出口さん きっかけは中学生の時にテレビで観たドキュメンタリー番組です。特集で組まれていたのが介護福祉士についてだったんです。
それを見て、介護福祉士っていう仕事をまず知らなかったし、こういう仕事があるんだなんて驚きが大きかったです。僕もこういう人になりたいなと思って、この大学に、介護福祉学科に入学を決めました。

―― 出演していた介護福祉士さんが印象的だった?

出口さん そうですね。もちろん仕事内容もですし、その人の人格・性格もその仕事に組み込んでいて、利用者さんが一番生かせる介護は何だろうっていうのを考えられていて、その考えに基づいて動いていて、すごいなと思いました。
僕にはできない。

―― 東大阪大学短期大学部を選んだのは?

出口さん 学校をいくつか回ったんですけど、なかなかしっくり来なくて、最後にここに来たんですが、楽しめるところや学べるところがたくさんあるな、と思って決めました。

―― 入学して、コロナ禍での2年間でしたが。

出口さん もうちょっとこの大学にいたいなと思いました。
最初から自粛期間もあって学校にあまり来られなかったし、学び足りないところもあったから、結構寂しいですね。
正直言うと僕ら実習に一回も行ってないんですよ。
授業だけでずっと補っていて、施設の現状とか、実際の介護の仕事がどんなものなのかとかも全然わからない状態で卒業したので、一回でも実習は行きたかったなっていう気持ちはすごくありました。

―― コロナ禍での授業で工夫したことはありますか?

出口さん 入学してからすぐオンライン授業になったので、オンライン授業だけど、でも対面授業みたいな感じで、頭の中でそういうイメージ持って、ノートをとりながら課題に取り組んでいました。

―― 対面授業が始まって、介護福祉学科は留学生も多いですが、学科の雰囲気は?

出口さん 一言で言えば騒がしいです(笑)。
でも迷惑的な騒がしいじゃなくて、すごく楽しそうな雰囲気を作ってくれるから、授業が受けやすくて、とても助かりました。
結構楽しかったですよ。

―― 印象に残っていることはありますか?

出口さん 国家試験前の勉強ですね。
教室の一つを貸し切って、みんなで集まって国家試験の勉強しようって集まったんですよ。その時が一番楽しかったかなぁと。自由参加でしたが、いつも10人ぐらい集まってました。

―― 留学生との交流で新しい発見はありましたか?

出口さん 異文化、その国だけの伝統文化なんですけど、日本とちょっと似てるところもあったりして驚きました。
あとは食文化。正月におせちに似たようなものが出て、親戚とか集まってお祝いをすることもすごく似てたんで、そこは一緒なんやって、すごく驚きました。日本だけのものだと思ってました。
実際に食べてみたのですけど、とても美味しくて、これちょっと好きやわって思うのも結構ありましたね。
フィリピン料理も食べました。たまたまフィリピン料理の店があったんですよ。みんなで食べようってなって、その時に初めて食べました。すっぱいとか甘いとか、なんか甘そうじゃないのに甘いっていうか、そういう料理が結構多くて、いろいろな味があって面白いなって思いましたね。
名前はちょっと忘れちゃったんですけど、牛の角煮みたいな、甘くて辛めの料理があるんですけど、それが一番好きでした。ブラックペッパーのスパイシーな感じもあって。おいしかったです。

―― 実習ができなかったとのことですが。

出口さん 1年の終わりくらいから施設でアルバイトを始めました。
最初の方はできなかったけど、徐々にやっていくことで、回数を重ねることで、できるようになったことが増えたことが一番嬉しかったです。
例えば誘導すること。最初は全然うまくいかなくて、ちょっと凹んでいた時があって、でも「回数を重ねるごとにできるようになるよ」っていう先輩の教えから、何回も回数を重ねていって、ようやくできるようになって。やっとできた!やったわ!ってめっちゃ喜びました。
アルバイトはやっておいてすごくよかったです。いきなり何もせず就職して始めるよりかは、絶対楽だと思います。

―― 卒業後の進路は?

出口さん 介護福祉士として、有料老人ホームで仕事をします。
利用者さんそれぞれの部屋にお邪魔してサービスを行うのですが、僕はホームの部屋がその方の「家」だと捉えてるんですよ。施設の中の一つの部屋ではなくて、その人にとっての家だと思って接しています。
現場はイレギュラーなことが起こる場所ですが、それに対応するのが昔から苦手で。これからの介護福祉士の人生の中で、苦手な部分を克服したいなという気持ちもあります。

普通の介護福祉士さんで終わりたくないので、経験を積んで上を目指したいです。
誰に対しても笑顔で対応できる介護福祉士になりたいと思っています。

インタビュームービー

【東大阪大学短期大学部】2021年度を振り返って音声が流れますので、再生の際は音量にご注意ください。



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