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奈良県高野連初の女性審判員として活躍! こども学部こども学科 吉岡心都葉さんインタビュー

夢をカタチにするために。奈良県高野連初の女性審判員として活躍! こども学部こども学科 吉岡心都葉さんインタビュー

吉岡さんは保育士を目指して東大阪大学こども学部こども学科で学びながら、小学生から好きだった野球を続けるために野球部のマネージャーとしてチームを支え、さらに奈良県高野連初の女性審判員として活動されています。
その活躍は新聞などでも取り上げられ、注目されています。
その原動力になっている”夢”について伺いました。(インタビュー:2025年7月)


―― まずは野球に興味を持ったきっかけを教えてください

実は私、双子なんです。妹は私よりからだが大きくて、周りから少年野球に誘われていたんです。私はからだが小柄だけど、野球をやったらかっこいいんじゃないか?と思って小学校低学年から始めました。
3学年上の兄が少年野球に入っていたので、その影響も大きかったですね。

―― 少年野球で実際にプレイしていたんですね

野球することは本当に楽しかったです!
でもやっぱり、野球の世界って男の子が多いので、苦労することはありました。
監督さんも女子への指導というのはあまり慣れてないから、お互いどう接したらいいのかわからなくなってしまったり、男子とも思春期も相まって関わり方がわからなくなったり、いろいろと大変でした。

―― でも、それでも野球を続けられた?

なかば意地ですね(笑)。
逃げた、みたいになるのが嫌で。野球は好きでしたし、他人を理由にして辞めたくなかった。
あとは、小学校5年生から奈良県代表の女子野球にも行ってたんです。女子20人ぐらいが集まって、そこで全国大会や近畿大会など経験させてもらって、それは楽しかったですね。心のよりどころというか。

―― 中学校に上がってからどうされました?

クラブ活動として続けました。監督さんに恵まれて。
メンバーの適性を見ようということで、いろいろなポジションをさせてもらえました。そこでピッチャーができたことは、大きな経験になりました。
「とりあえずピッチングやってみろ」って言われて、サイドスローで投げたんです。からだが小さいから、球の速度がちょうどいい(笑)。サイドから始まってどんどん上投げにしていってバッターの前で落ちる緩いストレートなんですけど、もう自然と落ちる球がめちゃくちゃ効果的で(笑)。
やっぱりピッチャーは楽しかったです。めちゃくちゃ楽しかった!
それぞれのバッターに対して配球を考えないといけないし、しかも場面ごとに考えることも変わってくるから、そこがおもしろいですね。

―― 中学野球での良かった思い出を聞かせてください。

3年生の時に副キャプテンとして務めて、春の北葛城郡大会で優勝して、夏の奈良県大会でベスト8という成績を収めることができました。
みんなで優勝する!と決めて、練習も声を掛け合いながら切磋琢磨してきましたし、優勝できた時の感動は今でも本当に忘れられないですね。

―― 小学生の時のように男女混合で悩むことはなかったんですか?

チームメンバーに恵まれたのでそこまで悩むことはなかったですね。
キャプテンとは今でも仲良くて、小学校6年生からずっと一緒にやってきて、その子のことはよくわかっていたから、副キャプテンとして支えることができたかなと思います。
監督さんが導いてくれたことも大きかったですね。何かあったらすぐ電話をくれたり、常に気にかけてくれていました。

―― では、高校時代に上がってからは?

奈良県に高校女子野球がなく、野球を続けるとしたら県外に行くしか選択肢がなかったんです。県外に出るのは、自分的には厳しいなって悩みました。
それだったら野球部のマネージャーをするか、または大阪などの女子クラブチームで野球をやるか、って大きな選択になったのですが、高校野球のマネージャーは今しかできないけど、クラブチームなら大学に進学しても、社会人になっても野球ができるって考えて。
ここは高校でしかできないことをやろうって決めて、法隆寺国際高校に進学して、野球部のマネージャーになりました。

―― マネージャーという立場で実際のプレイ経験が役に立ったことはありますか?

プレイに関して、実際してきたからこそわかる見方もできましたし、ノックなどの実践的な補助をしたりすることもあるので、そこは結構役に立ったかなって思います。

―― そして大学進学となります。

高校と同じように野球を続けていくにはどうしたらいいのか悩みました。
ちょうどその時、大阪桐蔭高校との練習試合があって、最後タイブレークで勝ったんです。私は試合のスコアを書いていたんですが、勝った時の感動がすごくて。
本当に嬉しくて、やっぱりこの喜びをまた味わいたい!って思っていたら、監督さんから「東大阪大学で野球部のマネージャーを募集してるぞ」ってお話をいただいて、今の進路に繋がりました。

―― 野球部のメンバーからも「大学野球は今までとは違う」というお話をよく聞くのですが、どうでしたか?

大学は自主性が求められるんです。練習も自分自身で計画を立てたりして。
合同練習で実力を発揮して、認められたら出場メンバーに選ばれる。練習から予選みたいなことが始まっているんです。
私自身も高校と大学とではマネージャーの立ち位置が全く違って、高校のときはサポートメインだったんですけど、東大阪大学ではメンバーの前に立ってチームを引っ張るマネージャー像を求められたのですが、実際メンバーにどこまで踏み込んだらいいのかがわからない。今も悩んでるんですけど。
そのなかでも、自主練するときに「ちょっと来てくれへん?」とか「ノックして欲しい」とか、頼ってくれるときに一番やりがいを感じます。経験があるからこそメンバーに一番寄り添えるようにがんばっています。

―― そして奈良県高野連初の女性審判員となりますが、きっかけは?

高校2年生のときに、ホワイトボードに「一塁吉岡」って書いてあって、「え?審判??」みたいな(笑)。
そこでちょっとだけ教えてもらって、やってみたら思いのほか楽しくて。

しだいに練習試合でも務めるようになって慣れてきたときに、監督さんが「高野連でもやってみたら?」って言ってくれたのがきっかけです。
でも、めちゃくちゃ悩み考えました。女性だから目立つじゃないですか。今の時代、SNSで叩かれたりとか。親とも話し合って、覚悟を決めて、今年の4月から推薦というかたちで入りました。

―― 初めての試合はどうでしたか?

もう緊張で足が震えまくって(笑)。
とりあえずボールから目を切らないように、ランナーから目を切らないように、ベースから目を切らないように、もう必死でした。
自分の判定で流れが一気に変わることもあるので、そこが一番怖かったです。内心ビビリながらも、選手に迷惑をかけないように堂々と見えるよう振る舞いました(笑)。
これまで公式戦は3試合、練習試合はもう数えきれないくらい担当しました。まだ三塁しかやったことがないのですが、だいぶ慣れてきました。

―― 他の塁もしてみたい?

徐々に自分のペースでがんばれたらいいかな。というのも自分の夢が野球以外にもあるから。こども学科に進んだのも、将来はやっぱり保育士になりたいからですし。

―― 保育士になりたいと思うようになったのは?

父が体操の先生をしていて、主催するキャンプにアルバイトとして参加しました。
私自身、工作や歌うことも好きだし、そのときに子どもっていいな、子どもと接する仕事に就きたいなと感じました。
東大阪大学で保育士の資格を取って、卒業後は保育園で働きたいと思っています。

―― 野球についての”夢”は?

審判としては、学生のあいだに甲子園の舞台に立てたら、それがベストです。
ただ審判が全てじゃなくて、その先に奈良県に女子野球チームを作りたいという”夢”が一番大きいですね。
審判になったのも、野球の世界のなかで女性が活躍できる場所を広めるためでもありましたし、私自身、奈良県で野球を続けたいけど、女子として専念できる場所がなかったことに悩んだし、苦労した分、女子野球の後輩たちには、自分のような思いをして欲しくないっていう気持ちが大きくて。

―― その”夢”を持ち続けて行動に移せる原動力はなんですか?

自分が発言したことには責任を持ちたいと思っていて、やるって決めたんだから最後までやる。何事にもチャレンジするし、やっぱり好きなことなので没頭してしまいますね。
実はこれ、おばあちゃんからの遺伝みたいです(笑)。

保育士になって社会経験やお金を貯めて、いろいろな人から話を聞いて、さらに経営を学んで。
グラウンドをどうしよう、とか寮をどうしようとか、考えないといけないことばかり出てしまいますけど。
奈良県の女子野球のみんなが、伸び伸びと野球ができるようにサポートできたらいいなって思っています。


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