破天荒な75年

奇抜な行動と過激な発言、歯に衣着せぬ毒舌、奔放すぎる藝で人気のあった立川談志さんが亡くなった。

この1月、『人生、成り行き~談志一代記~』を読んだのを思い出した。聞き手は作家の吉川潮氏。思わず笑ってしまった。そして、そこには立川談志という特異な人物の人生哲学が流れている。さまざまな挿話と多彩な騒動。本人が語る戦時中の少年時代に始まり、14歳の頃には落語家になろうと決めていたとのこと。少年時代、新宿の末広亭に通った。土間に六人掛け位の粗末な椅子が並んでいる中、一番前か二番目の列に座って食い入るように落語家を見ていたという。それにしても氏の記憶力には驚かされる。幼い頃の町の記憶、そして本を読むのが好きで、貸本屋から借りて読んだ本がいくつも出てくる。私も子どもの頃、近くの市場の中にあった貸本屋で、いつも借りていたが、書名などまったく覚えていない。

また、前座時代に“誰を目標にというのはなかった。最初から自分がうまいことに気付いた。だって文楽師匠よりうまいなって思ってたもん”と語る。真打ち昇進をめぐるごたごた、所々にテレビなどでよく知っている落語家が登場してくる。芸能人同士の逸話が面白い。落語協会脱退と立川流創設などなど、自らも積極的に波乱の人生。本人の語りで辿る破天荒な半生である。

芸能人野球大会が盛んで、氏が噺家の野球チームを作ったときの話も面白い。“曲芸のチームは弱い。球を持っている時は、「はっ」とか言って手先でくるくるやったりするんだ。でも見せ場は投げるまで。”球を扱うのは上手だが、投げたら下手だと。“つばめは一回デッドボールを受けて眼鏡割ってから、打つときも守るときもキャッチャーマスクしてましたな”と。本当かいな。

円楽(先代)さんについては、“あたくしに投げさせればひとつも打たせません”と円楽さんは言っていた。しかも“色が黒くて背が高いから妙に信憑性があったんです。それがやらせてみたら、どこに球が行くかわからないし、バット持たせてもかすりもしない。運動神経が先天的にない奴で、どうにもなんナイ”。氏のチームは野球試合で、勝った記憶がないと言う。しかも小学生に負けた時のことをこう書いている。“小学生に負けた時は、「もうよそうよ」って愚痴が出たね。また強い小学生チームなんだけど、手加減をしらないんだ。「ガキは洒落がわからないから始末が悪い」”と。

氏が選挙に立候補した時の話も楽しい。選挙カーでマイクを握って速射砲のように言葉がポンポン飛び出す。類まれな才能。自らの選挙戦、そして政界進出。依頼されての応援演説。鋭い指摘、舌鋒、ときにあっけに取られる。と同時にユーモアに溢れている。全編を通じて、氏の記憶力は、ただただ凄い。

毀誉褒貶がついて回った氏。でも、言いたいこと、やりたいことを貫いても、落語の世界で許されたことが不思議に思うとともに、生き抜くことの出来たのは、やはり卓越した力があったからだろう。そうでなかったら消えている。

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