年末の集い

昨年の11月末、私が新任教員として赴任した学校の地歴部が同窓会を開いてくれた。4年程前に岸和田で初めて開いて以来である。出席者は、最初に担当した生徒から4、5歳年下まで14名。そのうち2名が旅行業務に携わっている関係からバスツアーとなった。堺駅にやって来たのは30人は乗れるバス。小さなバスと思っていたから驚いた。なかには卒業後、初めて見る顔も。45年振りである。大学で教鞭をとっている先輩の地理の先生を中心に、まさに地理、歴史の旅だった。卒業生の中には大学で教職、フランス語を教えている者が2人。草津、水生植物園、石部宿場の里と、改めて勉強し直した

12月中旬の日曜日、最も親しかった卒業生のメンバーが難波に集合。このメンバーの中心はSであったが、彼は昨年4月に亡くなった。今回の参加者の年長者は、彼と同級であったM。集まることのできたのは7名。5名程は仕事や家庭の都合で急遽欠席となった。混雑する難波改札口に集合して新世界へ。今回の企画は中学校の校長をしているTと電気工事を仕事とするM。京都の病院に勤務する最年少のEは泊り明けで、眠いのを我慢しての参加。SとYは風雲急を告げる(?)大阪府庁と大阪府立高校に勤務、Mは家庭人。かつて一緒に旅行したり、我が家に泊りに来ていた連中である。

新世界は、旅行客などで活気づいていた。通天閣は35分待ちなので、その辺の散策へ。丁度、演劇がはねたところで、時代劇の扮装のままの俳優が客を劇場出口で見送っていた。慶沢園から茶臼山、一心寺へ。新世界へ戻り、夕食は串かつ。狭い2階へ上がって歓談。いつもならこの席には、必ずSがいた。皆が彼には一目置いていた。Mが黙祷しようかと言ったが、狭い座敷で、他の客もいるのでこれは遠慮。しかし、皆の思いは一緒。彼らは、S先輩が居たらなと思っている。私も、ここにSが居たらなと思ってしまう。

日が暮れたので、客も減ったであろう通天閣に登った。でもこの時間でも結構、客は居た。かつて来た時と、かなり変わっていた。戦前の通天閣付近のビデオやジオラマで大阪の街を再現している。驚いたのは通天閣から難波と天王寺2方向へ、ノンストップの無料マイクロバスが出ていることだった。通天閣の前に人が並んでいるので、なにかと思うと、バスを待っている人であった。我々も、難波までそのバスに乗車。車内には福岡からやって来た2人の若い女の子がいた。21時半頃の新幹線に乗って帰るとのこと。“たこ焼き”を食べる所を聞かれたので、その場所を教えた。

クリスマスイブの日、60歳を迎える、迎えた卒業生4人との宴。これも、毎年1回誘ってくれる。女性4人で大いに賑やか。いつも某ホテルのロビーで待ち合わせての会食。話が弾むこと弾むこと。1年1回ゆえ、溜まっているものを吐き出す感じ。しかし、楽しい。4人は同級生で、この春、幼稚園園長で定年となる女性に、主婦が3人。発展途上国を中心に海外旅行にしばしば行っている者がいて、皆が“羨ましい身分やなあ”と。また、今も社会人バレーを続けている者もいるなど感心する。高校生の時は、バレーボールで鍛えていた連中。当時は、屋外が普通であった。泥だらけになって、ボールを追っていた彼女たちである。

この2ヶ月に、3回の宴。最近では、いずれも間もなく高齢者ゆえ、互いに健康には気をつけようと言い合って別れる。でも、最も気をつけなければならないのは私である。いずれは杖をついて出かけるとしよう。

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