社会人としてのスタート

いつもと同じ通勤経路なのに、今日は何となく華やぐ。それは、新調のスーツ姿の若者が目立つからであろう。4月1日、全国一斉に新年度の始まりとともに、学校には園児、児童、生徒、学生、そして新任の教職員が門をくぐり、会社や官庁には新人が入社、入庁した。社会人として、スタートを切ったのである。同じ組織なら彼らには、そんなに差がない。しかし彼らが5年、10年、20年、さらにそれ以上の年月が経てば、大変な差が出てくる。

私が学校を出て、新任教員として赴任した学校には同期の者が私を入れて5人いた。互いに授業をはじめとして生徒の指導全般について、よく話し合ったりした。そして、こうしたことを通じて切磋琢磨した。授業や生徒指導等で負けてはならない。そのため、授業の上手な先輩教師や学校の中心として活躍している何人かの大先輩である上司を注視して、その技を盗もうとした。また、色々なことを教えてもらった。「一色くん、一色くん」と、よく声をかけてもらい、さまざまな指導、時には注意も受けた。今も、その先生方の何人かはご健在である。

そして私が、中堅の教員になった頃、毎年4月、新進気鋭の教職員が10人ほど赴任してきていた。半年、一年と経過していくと、彼らの間には明らかな差が見えてくる。学校の仕事一つ一つに前向きに取り組み、少しでも多くの事柄を身につけようとする者、一方では、自分の教えている教科以外をできるだけしないでおこうとする者もいた。そして、後者の教師は、教科に集中しているはずなのに授業は下手であった。つまり、多くのことを学ぼうとする者には、様々な力がプラスされ、結果として指導力がついていくのであろう。

将来、学校の中心として活躍するであろうと思える者もいれば、その逆の教職員もいた。優れた先輩教師から学ぼうとしない、唯我独尊の者もいた。言葉遣いが、いつまでも学生のままである者。組織の何たるかを理解していない者もいた。当然、彼らは経験を積んでも、教育力そのものは身につかず、あまり成長が見られなかった。授業がまずく、生徒の心を掴むのも上手でない。同僚教員からの信用も低かった。当然、後輩に追い抜かれていった。同様に事務職員の中にも事務処理がまずく、同僚とトラブルを起こす者もいた。しかも彼らに共通するのは、自らの行動・所作が間違っているということに気づかず、変に自信過剰、ときに横柄ですらあった。そこには学ぼうとする姿勢がなかった。

4月、社会人としての歩みを始めた新進気鋭の若者。会社であれ、官公庁であれ、初めは人に揉まれて押し合いへし合い、雨風は窓から吹き込んでくる。ときに自らの不甲斐なさに涙し、悔しい思いもし、それに耐えながら、彼らは成長していく。また、そういう中でこそ成長していくのである。変に彼らをかばうような組織なら、彼らは成長しないし、その組織も伸びないであろう。もっとも、その人が伸びるかどうかは、つまるところ、本人の自覚が最大であること言うまでもない。そのためにも、あくまで謙虚に、そして一方では、範とするべき先輩、上司を選ぶこと、見抜く目も大事であろう。

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