ボクは運がよかった

ボクの名はハリスと言います。昨年12月上旬、遂に死にました。ボクの長生きは近所でも知られていて、ボクの死んだことをどこかから聞いた人は飼い主である主人に「ハリス君、死んだの」、なかには「ハリス君、亡くなったの」と、人間のように言ってくださる人がいて大変光栄な気持ちです。

この家に飼われて18年5ヶ月。ボクは幼い頃、大阪市住之江区にある動物センターという所にいました。歳のいったのやボクと同じ年頃など色々な犬がいました。皆どことなく悲しそうに、また、猜疑心の目で周囲や仲間を見ていました。なぜボクが、ここに放り込まれていたのか思い出せません。そんなある日、中学生と思える男の子がやって来てボクを抱き上げました。ボクはどうなるのかわけがわからないまま自転車の荷台に乗せられ、一軒の家に入りました。ここが、ボクの生涯の棲みかとなったのです。

後で聞くと、その男の子が犬を飼いたいと言ったところ、その子の父親(ボクの主人になるのですが)、野犬センターでもらってくるよう指示したとのこと。しかもボクが、茶色であったことが幸運でした。前に飼っていた犬が白系の雑種なので、同じ色では前のイヌを思い出すので、違う色を男の子は探したとのこと。あの時、ボクの入れられていた所には、同じ年頃の白色の子イヌもいました。彼は、ボクが抱かれて出ていく時、羨ましそうな顔をしていたのを今も覚えています。そして、飼ってくれた家の人が皆、ペット好きで、ペットを飼うことにも慣れていたこと。なんと、僕は運が良かったと思うのです。

歳がいってからは、耳も遠くなり、歩くのもおぼつかなくなってしまいました。そして、一昨年の大晦日、突然、立てなくなり、苦しくなってもがきました。主人は、車で救急病院へ連れて行ってくれました。昨年の夏から、とうとう寝たきりになってしまいました。しかも、ボクは寂しかったのか、なぜか自分でも分からないのですが、大声を上げるようになり、困った主人はボクを室内へ入れ、シーツを敷いた畳の上に寝かせてくれました。

死ぬ2日程前から食べられなくなり、真夜中に死んでしまったのです。時計では、1時半頃です。いつもは2時半過ぎに、ボクを見に来てくれる主人が、その日にかぎって1時40分頃、2階から降りて来て、ボクがオシッコとウンチをしていたので、シーツを換え、お尻をウエットティッシュで拭いてくれました。その時は、息を引き取ってすぐだったので、ボクは温かく、体も柔らかなので主人は気づきませんでした。そのうち、すこし変に思ったのか、懐中電灯でボクの腹部を照らし、呼吸していないことに気づき、ボクの瞼を触って動かないのを見て、主人は小さな声で、「あれ、死んでる」とつぶやきました。…………。

その日の午後、今では社会人となっているボクを連れて帰ってくれた人の運転でペットセレモニーで、お骨となりました。現在、病に伏していた部屋の小さなテーブルの上に置かれた骨壷に、ボクは入っています。横には、ボクの晩年の写真が置かれています。先日も、ある方からボクはお供えを頂戴し、ボクの写真の前に置かれています。

今、気がかりなことは、2匹のボクの弟のことです。もっとも血のつながりはないんですが。彼らも、幸せな一生を送ってくれることを願っています。

最後に、運の良かったボクに愛情を注いでくれた家族の人たち、そしてボクの周囲の人たちに感謝しています。                    合掌。

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