危険に挑む献身的な行動

東日本大震災は、文字通り未曾有の大被害をもたらした。地震発生から1ヵ月となるが、被害の規模は、今も全体像が明らかにならない。わが国は、世界でも一、 二を争う地震国であることは広く知られていたし、阪神淡路大震災の記憶は、建物や高速道路の倒壊、火災による大きな被害等、今も生々しい。しかし、津波と原発事故はなかった。予測も予防も人知と経験を超えた甚大な損害、悲劇を伴った災害である。4月11日現在警察庁のまとめによると、震災被害状況は、死者1万3130名、行方不明者1万3718名、避難者は14万5565名にのぼっている。亡くなられた方々に哀悼の意を表しますとともに、被害に遭われた方々には心中よりのお見舞いと、一日も早い復興を祈念いたします。

寺田虎彦に「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉があるが、何年か前、東南アジアでの津波の映像を見た際、その津波の破壊力に驚愕したものだが、それがまさか我が国にも、そしてこんなに大きな被害をもたらすとは思ってもいなかった。高さ8㍍、厚さ約20㍍で港湾を守っていた三陸海岸の防波堤を破壊した。大津波が家を遅い、車を飲み込み、路上にあるものを押し流していく。「あの家に人が…」「あの車の中に人が…」と思うと痛ましいとしかいいようがない。地震発生から津波到着までは20~30分あったが、未経験の大きな津波と、陸上を進む速さになすすべがなかった。予想を超える破壊力であり、全国的に防災対策を作り直す必要があろう。大阪に住む者としては、大阪南港、関西空港は大丈夫なのだろうかと思ってしまう。

震災から1ヵ月を経た現在も、なかなか収拾のめどが立たない東京電力福島第一原子力発電所。大津波で機器への電源を断たれ、水素爆発や放射能漏れが起きた発電所では事故を抑え込むために不眠不休の作業が行われているが、復旧作業も一進一退が続いている。原発事故で真っ先に放水など危険な作業に取り組んだのは自衛隊員だった。原子炉などを冷やすために東京電力や関連企業の社員らが続ける作業。自衛隊や消防庁の福島第一原子力発電所への緊迫の放水活動。現場では東京電力の関係者、自衛隊員、警察官、消防士らによる国のため、国民のために被ばく覚悟の作業が行われている。懸命の現場は想像を絶する修羅場であろう。まさに闘う人達。任務とはいえ、その勇気と行動には敬服する以外にはない。彼らの献身的な奮闘がなければ、被害はもっと大きくなっていただろう。

ことに、自衛隊の災害派遣は救難・復旧支援と原発の放射能への対処というに二つの作戦を強いられている。派遣人員は約10万7千人と、ピーク時で約1万9千人だった阪神・淡路大震災と桁違いだ。余震が今も続く現場で苦闘する人々が最大限の力を発揮できるように支援をするのがしかるべき所の使命であろう。でも、何とも心もとなさを感じるのである。

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