舞洲に舞う

高校野球の大阪大会、これまで幾つかの高校に勤務していたので何度も応援に行った。3回戦か4回戦まで進んだことがあったかも。殆どは1、2回戦まで。ひどい時は1回表、相手チームの先頭打者に投げた第一球をホームランされ、後はメッタ打ちにあい散々な結果も経験した。経験したといっても、実際に経験したのは選手である高校生で、私はただスタンドで応援していただけだが。しかし負けた我が校の彼らには、日頃のたゆまぬ練習、そして試合で全力を出し尽くしたという、なんとも言えぬ爽やかさがあった。その時は、相手チームの一糸乱れぬ応援にも驚嘆した。過去、違う高校で何度も応援に行ったが、今回のように決勝戦は、もちろんはじめて。

東大阪大学柏原高等学校が、舞洲球場で、大阪桐蔭高等学校を破って優勝。初めての甲子園出場を決めた。真夏のじりじりと肌を焼くような太陽の下、日頃、鍛えた技と力がぶつかりあう。互いに懸命に練習を重ね、今日を迎えた。はつらつとした青春は、一瞬のゲームで決まる。まさにそんな試合だった。9回裏一死満塁、デッドボールでサヨナラ押し出しの1点。こんなこともあるのかと思う劇的勝利であった。柏原高校が見事な粘りで5点差をひっくり返した。勝ったチームの選手全員が互いに抱きあい、飛び上がり、歓声を上げ、喜びの涙で顔が崩れていた。一方は、しゃがみ込み、四つん這いになり、悲しみ、悔しさの涙にむせぶ。そこには、両者ともに燃焼し尽くした青春がある。そして、互いに次の燃焼へと向かって行く。ことに痛恨の一球を投げた彼にとって、この経験は、その後の人生において必ずや大きなプラスをもたらすことだろう。

野球は球場という青空の下、衆人が見守るなかでの公正にして公平なスポーツ。勝ちと負けしかない世界での勝者と敗者の違い、その境界線は、一体どこでどのように誰が引くのか。

前日の準決勝で勝利し、主将で高校通算50本以上の本塁打を打っている柏原の石川慎選手は「決勝は甲子園に行きたいという思いの強い方が最後に勝つと思う」と語っていたが、この思いは大阪桐蔭だって同じはず。しかし、勝利の女神は、彼の思いに応えた。村上学園の東大阪大学柏原高等学校が、初めて勝ち取った甲子園出場。大阪で勝ち進むのは、ある意味、甲子園で勝つことよりも難しいと言われる。深紅の優勝旗を目指して、あらん限りの力を発揮してもらいたい。

かつて王選手は、“調子のいい時は、ピッチャーの投げたボールが止まって見えた”と確か語っていた記憶がある。今夏、全国の高校野球の選手の中から、将来、ボールが止まって見える者が出るかもしれない。

一回戦で敗退したチームを含め、野球に打ち込む一途な青春を讃えるとともに、一方では、彼らに野球ができる喜びをも噛みしめてもらいたい。そして、見る我々も、野球から何がしかの夢をもらった。

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