思い出の“田舎”

幼い頃、家族で旅行をするなどということがなかった時代、私にとって「田舎」という言葉は素晴らしく、また、羨ましい言葉であった。2学期が始まると、同級生が夏休みに親と「田舎」へ行って来たなどと、楽しそうに話していることが非常に羨ましかったのである。田舎で、こんなことをした、あんなことをしたなどと話してくれる。当時、“ 田舎へ行く”“ 田舎へ行った”は、だいたいお母さんの実家のことを指していた。

残念ながら私には、“田舎”なるものがなかった。なぜなら私の母親は、私が通っている小学校を卒業しており、父親も大阪市内で育っていた。そして、ともにその生まれ育った家はすでに存在していなかった。たとえ存在したとしても、その“田舎”は、大阪市内であり、同級生のようなわけにはいかなかった。したがって当然、私は夏休み中も我が家の周辺から遠くへ出ることはなかった。

ある時、私は父や母に、何度か「ぼくとこ、田舎ってないの?」と聞いた。そのせいかどうか分からないが、小学校低学年の時だったと思うが、父は兵庫県の親戚の家に連れて行ってくれた。たしか2泊3日だったと思う。親と泊りがけで出かけたのは、後にも先にもこれ一回である。それだけに楽しかった。そこには、いとこが6人居て、一緒に遊んだ。

その幼い時の思い出の場所に、以前から行ってみたいなと思っていた。その親戚も、その後は大阪に出て来ている。地名は知っていても、親戚の家のあった住所が分からない。それが、ひょんなことから、6月に住所を教えてもらった。

過日、60年ぶりにかの地を訪れた。市役所で住宅地図をみせてもらった。家があった所であろう付近は、空き地になっていて草が生い茂っていた。そして周辺の家屋も、当然のことながら現代的なものになっていた。歳下の従兄弟と歩いてすぐの小川へ行き網で魚を掬った。その川もそのままあった。石橋の横の石段を降りてみた。間違いなく、ここで幼い私は魚を獲ったりした。その時、川を蛇が泳いできたのに驚いたのを覚えている。川の両縁などはコンクリートできれいになっていた。もう少し大きいと思っていたが、まさに小さな川であった。あの頃、道を、よく蛇が這っていた。近くの家の蓄音器(なんと古い言葉)から笠置シズ子の“買い物ブギ”などの歌が始終聞こえていた。周囲の家は、私の住んでいた所とは違って、まさに田舎を感じたのである。その家には風呂があったことも楽しかった。都会では、自宅に風呂のある家などなかった時代である。トイレは、屋外にあったような記憶がある。

そこから子供の足でかなり歩いたと思うが、海水浴場へ皆で行き、砂浜で親戚の方が作って下さった豪華な弁当を食べた。その浜辺にも今回行ってみた。海水浴客で賑わっていた。夜に歩いている時、空にくっきりと天の川が浮かんでいたのも、とても印象深い。そこで将棋というものを初めて教えてもらった。これがきっかけかどうかわからないが、我が家にあった駒で将棋をしたり、歩回し(ペコ回り)、蛙飛び、山崩しなどを近所のちびっこ仲間とよくした。自分の家以外で泊った唯一のものであるだけに、非常に思い出が深い。

今の子供たちは、毎年のように新幹線で、車で親と旅行をし、なかには海外へも行っている。大変楽しいことである。しかし、家族で旅行などしなかった時代に育った者にとって、数少ない楽しかった日々は貴重な思い出になり、歳がいった今日でも心に強く刻まれている。今日のように家族揃っての遠出が当たり前の裕福すぎる、幸せすぎるのも、逆にどことなく貧しさを感じてしまう。

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