元気よすぎる掛け声

学校にいると、早朝に、また放課後に東大阪大学敬愛高校運動部の女生徒たちが、一斉に声をかけて走っている。かつて別の学校に勤務していた時は、グランドからは野球部、体育館からはバスケットボール、バレーボール、そして柔道場、剣道場からは裂帛の気合が聞こえていた。そこには、懸命に頑張る青春があった。まさに国の将来を担うであろう若者の元気な声はいいもので、こちらも元気になってくる。全国の学校で彼・彼女らの汗が迸り、青春が燃えている。

ところで話が変わるが先日、ある焼き肉屋へ行った。その店は、大阪にもかなりの数の店舗を構えている。安くて庶民的で手軽なので時々利用している。若者のグループや家族連れも多い。ところが今回、一歩店内へ入って驚いた。店員が客を席に案内する都度、入口近くに一列に並んだ数人の店員が、一斉に「いらっしゃいませ」などと大声を発する。まさに体育会系である。私は一瞬、後ずさりしたくなった。その店の他の店舗では、そんなことはなかったので驚いた。ひょっとすると、他店も一斉にそうなっているのかもしれないが。

店の方針として、お客に対して、また、店員の士気を高めるにもよいと思ってしていることであろうが、我々のような年配者にとっては場違いな感じで、大きな声で勢いよく大歓迎(?)の挨拶をされると恥ずかしくなって、ちょっと待ってくれ、やめてくれ、ごく自然に静かに入店させてくれと言いたくなる。もちろん元気がよく、お客に対する対応もいいという人もいるだろうが、私にはちょっとなあと感じる。そんな大声を一斉に発しなくてもいいではないか。大声を発するなら、開店前に元気をつける意味で実施してくれと。しかも、注文をとりに来る店員のすべてがマニュアル通りの決められた話し方をする。店内至る所から元気な店員の声が聞こえる。元気が良すぎて店のなか全体が、掛け声をかけて一心不乱に走っているようだ。店内が賑やか、雑踏このうえない。仲間との会話も小さな声では周囲の音に邪魔され聞こえないから、自然と仲間内の声も大きくなっていく。

たまたま私の席は、入口からかなり離れた所だからいいものの、もし、あの近くの席なら客が入って来る度に、あの一斉の大声。これでは喧しくて、落ち着いて食べているどころではない。

賑やかなこと、元気なことはよいことではあるが、これも時と場所と程度ものであって、元気の良すぎる喧騒はどうかなと思う。静か過ぎるのも困るが、騒がしすぎるのも困る。普通であってほしい。ほどほどである。

そして先日、友人と同種の店へ行った。店員が「いらっしゃいませ」と大声でもなく普通の落ち着いた声で、心をこめて言う。席に座っても落ち着いておられるし、周りの客も静かに食事をしている。互いの会話も楽だ。普通の静かさ、普通の騒がしさの中で、ゆっくり語らいながら食事をした。

This entry was posted in エッセイ. Bookmark the permalink.

Comments are closed.