「窮める」に挑んだ“元祖・安打製造機”

先日、「敗れざる者たち」という本をあらためて読んだ。初めて読んだのは、この本が発行されたs51年である。著者・沢木耕太郎氏の20代の作品で、ノンフィション、ルポルタージュの分野に新しい視点を持ち込むなど、凄い書き手が登場したなと思ったのを覚えている。これまで、何度も読み返している。

「三人の三塁手」「長距離ランナーの遺書」「さらば宝石」等、それぞれが読む者を引きつける素晴らしい作品である。ことに「さらば宝石」は、そこに書かれているのが誰なのか、興味深々だった。その一編の書き出しはこうである。

“ひとつの噂がどこからともなくきこえてきた。……。噂の主人公は、プロ野球の元選手だった。E…という。彼は戦後日本のプロ野球が生んだ名選手のひとりである。川上哲治、山内一弘に次いで史上三番目に二千本安打を記録した。……。そういえば、Eほどの選手がいつ引退したのかも記憶にないのは奇妙なことだった。”と。私はぐんぐん引き込まれ、このEとは誰なのか、引退しているプロ野球選手の顔を何人も思い浮かべつつ懸命になって読んだ。まるで推理小説にのめり込んだようでもあった。

“バッティングとは、…Eにとっては「窮める」べき目的そのものだった。”“Eはいまだに「さらば」といえないでいる。いつになったら断念できるのか、いったいダイヤモンドに何を忘れてきたというのだ。2314本にたった15本の安打を加えれば、終身打率が3割に達する。忘れてきたのは15本のヒットだったのか。あるいは川上の残した2351という記録への37本のヒットだったのだろうか。……。”そして文末になって、“彼が必死に求めているのは、ヒット中のヒット、完璧なヒットという幻なのかもしれない。必死に走り続けていたE-榎本喜八の姿が…”と、実名が登場する。あっ、Eとは、あの榎本選手なのか!

早実高から毎日オリオンズに入団し、開幕戦から先発出場して新人王になるなど、高卒ルーキーの野手として大活躍。今はない大毎(現ロッテ)のミサイル打線の中心として、山内一弘、田宮謙次郎とともに活躍。打率ランキングの上位3位をこの3人が占めたこともあった。首位打者にも二度なっている。安打製造機とも言われ、名人技を窮めるべくバッティングに挑んだ。それだけの選手なのに、引退後は指導者にも解説者にもならず、その動向が消えてしまっていた。

ライバル達が「打席で殺気を感じた」と。全盛期には、相手投手をして「剣豪のようなどっしりとした構え」「近づくと切られるような殺気があった」と言わしめた。また、「試合中、素振りの音がスタンド上段まで聞こえた」「ボールとバットがすれると焦げ臭さが漂った」と言われる伝説まであった。打撃の天才と称される一方、ベンチで座禅を組んだり独特の野球観と奇抜な行動でも知られたそうだ。当の選手本人は「投手の動きやボールがスローモーションのように見えた」と語っていた。

その榎本選手が、3月末に亡くなったことを新聞が、かなり大きく報じていた。そこで、「さらば宝石」を改めて読んだ次第である。

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