今どきの若者、そして痛恨の極み

日中、蝉が喧しいほど鳴き、時々近所の親子が網を持って獲りにきている。そんな7月の夕方、午後6時半、本学の校舎1階ラウンジに30人あまりの学生が集合していた。大学の自治会である学生会、短大の学友会の役員が中心になって、これに有志の学生たちが加わって学内美化の取り組み活動である。6時半とはいっても日差しが強く、じっとしていても汗が出てくる時間である。学内はもちろん、学校の回りも、ごみはさみにごみ袋を持っての清掃。なかには、足を負傷しているにもかかわらず松葉杖をついて清掃活動に参加している学生もいた。教職員が呼びかけたわけでもなく、まったく彼らが自主的に始めたもの。

そして8月上旬にはキャンパスにある池の美化に取り組むと聞いていた。この暑い中、本当にやるんだろうか。その日の朝9時半に30名ほどの男女学生が、それぞれにふさわしい服装で前回と同様1階ラウンジに集合していた。キャンパスにある池への挑戦。キャンパスにある池は、水が濁り、藻が繁茂して非常に汚くなっていた。先月末、暑い最中に用務員さんがポンプで水を掻い出したり、池にいる魚を別のところに移すなど奮闘してくださっていた。その後を引き継いでの挑戦。

彼らは、汚れた水の中に入り、泥をバケツなどで掻い出し水をすべて抜き、女子学生は池周辺の雑草を抜いたり、この暑い中で汗だくになっての奮闘。教職員3名も応援。熱中症にならないように、休憩をとっては水分を補給したりと、すべてが終了したのは午後の7時頃。体力、精神力、ボランティア精神には感嘆、驚嘆。こんな学生がいることは、頼もしい。

夏休みである。海外旅行へ行く者、海や山へ遊びに行く若者、自分の好きな物を買うためにアルバイトに精を出す者が多い中で、自らの学校の美化のために、この猛暑の中での自発的な行為には、まったく脱帽である。“今の若者は”と揶揄的によく言われるが、見直す以外のなにものでもない。こんな力を持っている彼らは、卒業後、社会に出ても十分やっていける。まさに生きる力である。

それから10日程したある日。夏の強い日差しが午後4時を回っても、まったく和らぎそうにもない時間、携帯電話の呼び出しが鳴った。大学からの発信であったので、何事かと思って、慌てて電話を取った。本学2年の男子学生が不慮の事故で病院に搬送されたと、警察から電話連絡があったとのこと。その後、死亡が確認された。野球部に所属して、グランドで汗を流し、充実した学生生活を過ごしていた彼である。そして、彼はこの一連のボランティアに参加していたのである。オープンキャンパスの日には、やって来た高校生の案内などをしてくれていた。8月下旬のオープンキャンパスにも協力してくれることになっていた。

青春を謳歌していた一人の学生が亡くなった。大学を卒業し、仕事に就き、やがて人の親となるであろう……これからいかようにも花が咲いたはずの人生である。突然に、それが断たれてしまった。いつも思うが、まじめな優しい心を持つ者が先に死ぬのはなぜなんだろう。全く残念でならない。仲間たちが、彼の分も頑張って欲しい。

ふと、中桐雅夫さんの詩に“心の優しいものが先に死ぬのはなぜか おのれだけが生き残っているのはなぜかと問うためだ……”とあるのを思い出した。

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