カレンダー

 年末になると、以前はたくさんのカレンダーを、旅行社をはじめとする企業や近所の商店などからいただき、居間や自分の部屋、そしてトイレにまで吊した。しかし最近では、経費節約もあってか非常に減少してきた。それでも、本屋さんや初詣で賑わう境内でカレンダーを売っているところを見ると、減ったとはいえ、買わなくてすむことはありがたいことだと思う。

 子どもの頃には、毎日、一枚一枚捲っていく“日めくりカレンダー”が、どこの家にもあったものだ。もちろん、美しい写真や絵などはなく、白い紙に太い黒色で日を(日曜日と祭日は朱色)、その横には曜日、その下には大安・友引などと書いてあった。縦長のものには、その日の格言も書かれていた。親が、毎朝はぎとっていた。時々、忘れていて、まとめて何日かをはぎ取っていた。今ではこういったカレンダーを目にすることも少なく、季節感溢れる風景写真や絵など、どれもこれもカラフルなものになった。

 ところで、私は見たことがないが、かつて「一世紀カレンダー」なるものがあった。新聞紙の2倍程の大きさの紙に100年分、1970年から2069年までの3万6千5百余日が細かい字で印刷してある暦だ。作家の井上ひさし氏は、銀座の文具店で買ってきて部屋に貼っていた。夜中、これを眺めていると、いまこの地球上にいる人類はひとり残らず、ここに記されているいずれかの日にこの世から消えてしまうのだと思うと、気持ちが沈んでしまい、仕事をやめて寝てしまった。数日後、友人がそれを持ち去ったので、再びその店に買いに行くと、店員が“あれは発売禁止になりました。あのカレンダーを眺めているうちに自殺した人が二人も出たんだそうです。”と書いている。一世紀カレンダーでは、記載されているどこかの日に、眺めている当の本人が死んでしまうことになる。人は、あまりに自らの人生のその先を、命をあからさまに見せられると、希望を失くしてしまうのだろうか。未知があるから、不確かな部分があるからこそ人は、そこに微かな夢を抱き生きていけるのだろう。

 さて最近では、自動日めくりカレンダーなるものまである。日が替わる真夜中、パタンと表示板の数字が消え、新しい日が出てくる。時刻をはじめ大安、仏滅とか、温度や湿度など、多くの情報が表示されていて、人の手を借りなくても、自動的に一日一日、一刻一刻が正確に変化していく。日時は、本来、人間の都合に関係なく流れているものだが、ここまでいくと、なにか日めくりに支配されているように感じてしまう。やはり、毎日でなくとも、月が替わるときに我が手でめくるのが、私には合っている。

 さて、手許にある今年のカレンダーをめくると、どこかの庭が写されており、その池にある灯篭は雪をかぶっている。そこに張りだした木の枝にも雪が積もっていて、その下には雪に覆われた細い道が続いている。春には満開の桜、秋には赤くそまった紅葉の道が続く。冬になると絨毯のように銀杏の葉に覆われた道が写されている。

 その時その時に一つの道を選ばなければならないということが人生には何度かある。その道に、自分の人生を託し決意したりする。他の人から見れば、つまらない寄り道に見えても、その人にとっては魅力的な道である。このことで成功することもあれば、失敗することもある。また、ほんの些細なことから、今まで見つからなかった、思いもしなかった道が忽然と姿を見せることもある。そして、選んで歩き始めたら、どのような苦難の道でも進んでいかなければならない時もある。また、挫けることのない強い意志があれば、道はおのずと開けてくる。しかし、どんな道であれ、傲慢に一人だけと思って歩んではならない。そこには、どの道でも、常に支えてくれるさまざまな存在への感謝を忘れてはならないであろう。1月のカレンダーを見ていて、ふと思った。

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